実は意外な点があったと思っている

かって私が住んでいた所に私鉄が走っていたと言うが実は私が生まれていた頃は廃止になっていたと言う。
最近になってから駅舎があった場所には看板が設置されていた。

実はこの様な事には意外にもこれが本や特集雑誌などにはこの様な事が書かれてなかった。
看板を設置してからわかったのですが戦時中に薩摩万世から知覧まで直通をしていた事がわかった。

実は住んでいる所は戦争中の時に飛行場があった場所だったと言う。
この駅から知覧まで走っていたことになるが直通が出来ないはずだと思っているのです。

よくよく考えてみると当時はこれがあって方向転換が出来ていたと言う。
それが「スイッチバック」が利用されていたと思われいる。

加世田から阿多まで行って方向転換はしたと言う事になる。
こうした事で兵隊さんが行ける事で飛行場まで行けたと思っている。

しかし、当時は特攻基地については軍の秘密と言われた事で家族にも知らせる事が出来ない。
これを知った時には既に帰らぬ人になっていた事もあると言う。

当時は直通が出来たと言うが知覧線では駅が廃止になる所もあった事でかなり厳密だったと思っているのです。
この様にして当時は運転をしていたので本など載らない所もあると思いました。